闇金の歴史1 ~貨幣の誕生と高利貸しの登場~

闇金の歴史1 ~貨幣の誕生と高利貸しの登場~

高利貸しと闇金

高利貸しとは、個人や企業などを対象に高い利息を取ることを条件として金を貸す業者のことを言います。

違法行為を行っている闇金だけでなく、高利の営業を行っている質屋をはじめ、貸金業登録を行って営業している消費者金融、信販会社、クレジットカード会社などの正規業者も高利貸しとして定義されます。

高利貸の特徴としては、比較的小口の顧客が多い点です。また、審査が甘いため、借入れが容易であることが挙げられます。


このページでは、歴史上における高利貸しの起源とその過程について少し触れたいと思います。



金貸しの登場

金貸しの登場

金貸しは、貨幣の使用が始まる古代において登場した職業であるといわれています。

マルクスの『資本論』の一説「価値形態論」に示される通り、商品に価格の形を与えて商品形態を成り立たせ、商品の売買行為を成立させたものが貨幣であると言えます。

つまり、貨幣は、商品の代わりに取引を円滑化するための媒介物であると考えることが出来ます。

物々交換から始まった経済活動は、この貨幣の使用によってより一層活発化することになりました。

その一方で、貨幣を蓄える者や貨幣を必要とする者が出現します。


つまり、それ自体では何の価値もない貨幣に対して需要と供給が発生したのです。このことが、社会に金貸しが登場することとなった大きな要因であると言えます。

貨幣経済は、紀元前700年の古代バビロニアの時代において本格的に発達しています。この頃に貸金業は確立されたと言われています。


高利貸はタブー視されていた

金貸しは、社会の変化に伴い必然的に発生した職業ですが、古代から悪しきものとして見なされていました。

事実、ユダヤ教をはじめとする各宗教の聖典では、利息を取る金貸しという行為自体を批判しています。

7世紀に誕生したイスラム教においても、コーランの中で全ての高利貸が禁止されています。


金貸しという職業は、特定の商品を売る訳でもなく、特別なサービスを行う訳でもありません

商品やサービスの生産・販売などに対価が伴う実体経済とは異なり、金が金を生むことで利潤を上げる仕組みです。

つまり、お金の貸借行為を利子でコントロールする、ある意味、錬金術のようなビジネスモデルです。

そのため、長い間、西洋世界では、金貸しは賤業とされてきました。


金融の元祖であるユダヤ人

古代・中世ヨーロッパでは、ユダヤ人は高利貸として非難の的となっていました。

キリスト教は、他人に貸したお金から利子を取る行為を禁止していました。

それでも一部のユダヤ人は貸金業を行っていたため、世間から欲深い罪人というイメージを抱かれるようになっていました。

しかし、前述の通り、ユダヤ教においても、利子を取って貸金業を営むことは原則禁じられていたのです。ただし、ユダヤ教では、例外として異教徒からは利子を取ることを認めていたという経緯があります

ヨーロッパで暮らすユダヤ人の多くは、土地を所有していたら「重税を課され、民衆の略奪にあう」というデメリットがあったため、富を持ったユダヤ人は資産を貨幣や宝石に換えていたようです。

また、ユダヤ人は、保険や株式といった現代でも広く普及している仕組を発明し、世界的な貿易ネットワークを他民族に先駆けて金融システムとして構築しています。


11世紀において、バチカンのキリスト教会は、ユダヤ人に対して数多くの職業に就くことを禁止しました。

これ以降、ユダヤ人の職業選択の余地は狭まり、金融業を営むユダヤ人はさらに増えたと言われています。

このような経緯から、シェークスピアの作品『ベニスの商人』に登場する、金貸しのユダヤ人シャイロックに代表されるように、ユダヤ人は冷酷で強欲な守銭奴ととしてイメージされるようになりました。

しかし、バチカンのキリスト教会という中世ヨーロッパの支配者が、ユダヤ人をこのような立場に追い込んだ理由は、ユダヤ人を社会の共通の敵とすることで、台頭の芽を摘み教会の権力の安定化を図るためだったとも言われています


キリスト教徒の高利貸しの登場

キリスト教会は、ユダヤ人・キリスト教徒にかかわらず金貸しを禁じる立法を繰り返し発布しました。

中でも、ヴィエンヌ公会議(1311年)では「利子付きで金を貸すことを異端と等しく扱う」とまで主張した経緯があります。

しかし、イタリアを中心に既に銀行業が発達したため、このような法律の適用は、現実的には緩和されました。

そして、16世紀の宗教戦争に端を発したヨーロッパにおける政教分離により、キリスト教会の権威は次第に弱体化していきました。

これにより、教会は民衆の経済活動に介入することが難しくなり、「利子」を取るという行為が社会的に容認されるようになったのです。


宗教改革によるプロテスタントの台頭

16世紀前半、ドイツのルター、スイス(ジュネーヴ)のカルヴァンらの教会改革をきっかけとして、キリスト教世界をカトリック教会とプロテスタントに二分することとなったのが宗教改革です。

宗教改革は、社会や政治、経済にも大きな変動をもたらしました。

中世カトリックでは利子を取ることを禁止していましたが、カルヴァンは5分の利子を許しました。


ヨーロッパにおける金融資本の成長は、プロテスタントの出現による影響が大きく関係しています。

中世ヨーロッパにおいて、資本主義が成立するに至った経緯を著したのが、社会学者マックス・ヴェーバーの代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』です。

「金は金を生む、そのため浪費するのではなく節約と運用が必要である」という考えは、プロテスタントの合理的禁欲と、節制の強制による資本形成という観念が強く現れていると言えます。


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