
Contents
近現代の高利貸し
このページでは、日本の近代・現代における貸金業者(高利貸し)の変遷を説明しています。
貸金業者の変遷を見ることで、違法貸金業者であるヤミ金の存在を明らかにしていきます。
銀行のルーツは両替商
両替および金融を主な業務とする両替商は、古くは室町時代に誕生し、江戸時代には既に確立していたと言われています。
小判、丁銀や銭貨などを交換・売買する際に手数料を取る行為をきっかけとして、両替商が生まれました。
そして、明治時代以降、両替商は銀行として金融業務を行うようになります。
金融機関による個人を対象とする融資は、1929年(昭和4年)の日本昼夜銀行による小口融資が最初であると言われています。
日本昼夜銀行は、銀行であるにも関わらず夜間でも営業を行う、画期的な営業形態を持つ銀行でした。
1943年4月、日本昼夜銀行は安田銀行に合併されることとなります。
安田銀行は、その後も様々な変遷を経て、富士銀行となり、現在のみずほ銀行へと姿を変えています。
昭和の高利貸し 質屋からサラ金へ

前回の「闇金の歴史2」で説明した通り、質草を担保に入れてお金を借りる質屋という形態の金融業者が誕生したのは鎌倉時代まで遡ります。つまり、質屋には750年もの歴史があるということになります。
時は流れ、戦後の時代になると、貧困から食料不足に悩まされる人々が増加しました。
そのため、食料や生活必需品を購入するお金を工面するため、家にある家財道具を持って数多くの人が質屋に集まることになります。
その後は、ゆるやかなインフレの時代が訪れ、物価の上昇と共に質屋の数も次第に増加傾向を辿りました。
そして、質屋は、1960年代頃まで庶民金融の主流として多くの人々に利用されることになります。
1960年代 団地金融・勤め人信用貸の登場
しかし、1960年代頃から、無担保・無保証人で一般市民に融資を行う、いわゆる「団地金融」「勤人信用貸(つとめびとしんようがし)」が登場したことにより、質屋の多くは姿を消すことになります。
この団地金融、勤人信用貸は、後にサラリーマン金融(サラ金)と呼ばれるようになります。
高度経済成長期の日本において、団地族と呼ばれる比較的エリート層の消費者を主対象とする団地金融は、次第に利用者を増やしました。
当時の団地金融は、無担保・無保証による本人の信用のみによる小口融資のスタイルをとっていました。
このように、以前であれば、大衆は質屋に担保を預けてお金を借りていましたが、次第に無担保の信用貸しへと変わっていくことになります。
1970年代 名称はサラリーマン金融へ
1970年代になると、オイルショックなどの影響もあり、次第に団地金融、勤人信用貸の利用者は増加する傾向にありました。
利用者は主に高所得のサラリーマンが多かった事から、この頃には「サラリーマン金融」、略して「サラ金」と呼ばれるようになります。
その後は、生活水準の向上に伴ない、一般のサラリーマンやパート・アルバイトの人なども利用するようになり、それまであった利用者のレイヤーは、次第に無くなっていくことになります。
しかし、当時は、年率100%を超える超高金利が大きな社会問題となっていました。
また、サラ金を取り巻く問題は、それだけに留まらず、返済が滞った際の、暴力・脅迫などによる苛烈な取り立ても問題視されていました。
ついには、保険金で返済を強要する悪徳業者も現れるようになりました。
この頃は、現在のような貸金業者の金利を厳しく規制する法律もなかったことから、世間ではサラ金地獄という言葉が踊るようになります。
1980年代 名称は消費者金融へ
「サラ金」という言葉にネガティブなイメージが定着していく中で、その脱却を図るべく、名称も「サラ金」から「消費者金融」へと変わっていきます。
また、サラリーマンだけでなく、OLや主婦といった女性や自営業者などの契約も増加したことから、広く大衆に向けた金融業者という意味で「消費者金融」の名称が使用されたという背景もあります。
83年には、貸金業法が改正され、貸し出し上限金利は109.5%から73.0%にまで引き下げられました。
そして、その後も上限金利は引き下げられることになります。
出資法の改正は繰り返し行われ、下記のように推移していきます。
出資法 上限金利の推移
1983年/昭和58年 | 109.5%⇒73.0% |
---|---|
1987年/昭和62年 | 73.0%⇒54.75% |
1991年/平成3年 | 54.75%⇒40.004% |
1999年/平成11年 | 40.004%⇒29.2% |
2010年/平成22年 | 29.2%⇒20.0% |
この法改正により、高金利を取る悪質なサラ金業者は、廃業や倒産に追い込まれ、次第に淘汰されていくことになりました。
1990年代 バブル崩壊と消費者金融
消費者金融が成長した背景には、90年代初頭に起きたバブル崩壊があります。
バブル崩壊によってリストラに遭い、経済的に苦しい家庭が増加したことがその主な要因です。
また、それまで深夜帯に限られていたTVCMがゴールデンタイムでも流れるようになったことや、面談なしでお金を借りることができる自動契約機の導入なども、消費者金融の成長を後押ししました。
1993年には、アコムが業界初の自動契約機を新宿と博多に設置し、無人店舗で営業を始めています。
この頃には、消費者金融に対する暗いイメージを払拭するため、クリーンなイメージを定着させることを狙ったCMが放送されるようになりました。
その他にも、女性専用ダイヤルを設けたり、女性対応を謳うレディースローンなど、女性が心理的に借り入れしやすい環境を作る企業も増えていきました。
このような戦略により、一時、消費者金融は隆盛を極めます。大手業者の中には株式を上場する企業も現れました。
2000年代 消費者保護の声が高まる
2000年代に入ると、消費者金融を取り巻く環境は次第に変化していきます。
これまでも度々問題視されていた、多重債務問題が本格的に表面化してきたのです。
この問題に対応すべく、政府も上限金利の引下げや取り立ての禁止事項を設けるなど、消費者保護の傾向が高まっていくことになります。
消費者金融側も、啓発活動を目的とした団体を設立するなど、利用者に対して、「借りすぎ防止」や「計画的な利用」を呼びかける業者も多くなってきました。
そして、2006年には、グレーゾーン金利(利息制限法と出資法という2つの法律による金利差)廃止や、借金できる総額を年収の3分の1に制限する「総量規制」などの法律の改正が議論され、12月に国会で可決・成立しました。
これを受け、2010年6月18日に、改正賃金業法は、完全施行されました。
2010年代 消費者金融は銀行の傘下に
2010年に総量規制が施行されたことや、グレーゾーン金利の撤廃による過払い金返還請求によって、多くの消費者金融が経営難に陥りました。
しかし、その後、大手消費者金融の多くは、銀行グループの傘下に入る事で経営を建て直しています。
これにより、消費者金融は、銀行の持つブランド力やイメージが備わりました。また、豊富な資金力を背景に、キャッシングやカードローンの利用者を着実に増やしていきます。
三菱東京UFJ銀行 | SMFGグループ | 新生銀行グループ |
---|---|---|
アコム | プロミス ↓ SMBCコンシューマーファイナンス | レイク |
このように、消費者金融と銀行カードローンの境界は非常に曖昧になっています。
銀行グループの傘下に入った後も、プロミスやアコムは消費者金融としての業態を維持していますが、消費者金融レイクは新生銀行の商品の一つとなっています。
レイクは銀行の金融商品の一つであるため、銀行法が適用されます。そのため、総量規制の対象外です。
このように、現在の消費者金融は、その扱いが非常に複雑になってきているという現状があります。
ちなみに、大手消費者金融の中では、唯一アイフルだけが銀行系列ではなく、独立系として営業を続けています。
闇金の現状
上記で説明した通り、2010年には総量規制を含む改正賃金業法が施行されています。
総量規制が導入されたことにより、新たな借入れは年収の3分の1までに制限されます。
この総量規制の対象外となる正規の借り入れ先は、改正賃金業法が適応されない、銀行だけです。
それ以外の手段としては、違法な高金利を取るヤミ金から借入れをするしかないのです。
あるアンケートの結果によれば、「どうしようもない状況になれば、ヤミ金融など非正規業者でも借入れせざるをえない」と回答した人が15.5%にも上りました。
また、借入限度額を引き下げられた影響で、「ヤミ金と接触したことがある人」は16.6%に達していることが、2010年の日本貸金業協会の調査により判明しています。
「ヤミ金と接触したことがある人」の内訳は、次の通りです。「利用したことがある(現在も残高あり)」が2.0%、「利用したことがある(現在は残高なし)」が5.2%、「利用したことはない(接触したことはある)」9.4%
2010年 日本貸金業協会調べ
■ 利用したことがある(現在も残高あり) 2%
■ 利用したことがある(現在は残高なし) 5.2%
■ 利用したことはない(接触したことはある) 9.4%
■ 利用したことはない(接触したこともない) 83.4%
闇金は、自分達を闇金とは悟らせず、近づいてくる場合があります。
絶対に利用しないと意思を固めていても、ふとしたきっかけで利用に至るケースもあります。闇金には、くれごれも注意が必要です。